環境微生物から病原微生物へ
〜類鼻疽菌 Burkholdeia pseudomallei

近畿大学医学部附属病院 戸田 宏文


§環境微生物
 一般に自然環境の中で生息している微生物を指しています。実際には,土壌微生物や海洋微生物,或いは河川や湖沼に生息する微生物,森林や山地,極端な例としては南極などの極地や活火山の火口付近に住む微生物なども含まれます。

§病原微生物
 ヒトに病気を起こす原因となる微生物を指しています。

環境微生物と病原微生物は人間の活動,特に経済活動の活発化に伴い,近年急激に変化しています。

《環境微生物と病原微生物の接点》

 ☆人間活動の増大に伴う変化
 ・ 農業における微生物とヒトとの接触
 ・ バイオテクノロジーにおける有用微生物の検索
 ・ 化学物質の自然環境への拡散―化学物質耐性菌,分解菌の出現
 ・ 微生物農薬の散布
 ・ バイオテクノロジーによって生産された遺伝子組み換え植物の栽培
 ・ 新規微生物のヒトの生活環境への侵入

ここでは,環境微生物が病原微生物になった例として類鼻疽菌 Burkholdeia pseudomallei について解説したいと思います。


◆類鼻疽菌 Burkholdeia pseudomallei感染の環境要因◆
 本来自然界(土壌,水)に生息する細菌でありながら,条件が適するとヒトに感染を起こし,時には重い疾病状況を惹起する病原微生物として,破傷風菌,レジオネラ菌,類鼻疽菌などがある。そのうち類鼻疽菌感染症は特に水田耕作に従事する農夫等に集中する点で,農林水産業における環境微生物と病原微生物の接点の代表的な例と言える。
 この疾患は東南アジアの風土病であって,日本では輸入感染症としてのみ知られている。

◆類鼻疽菌とはどういう微生物か?◆
 1912年にビルマ(現在のミャンマー)のラングーンにいた英国人の医師Whitmoreらが,馬の鼻中隔に潰瘍をつくる鼻疽菌と非常に性状の似た菌を敗血症患者から分離し,類鼻疽菌(Bacillus pseudomallei)と命名した。菌の命名が変わり,BacillusからPseudomonusを経て,現在はBurkholdeia pseudomalleiになった。菌の性状はグラム陰性桿菌で,3本以上の鞭毛を持つ,糖非発酵菌である。

                 表.1 類鼻疽症 Melioidosisの概要


◆感染と疾患(類鼻疽症 Melioidosis)◆ (表1.) 
 類鼻疽菌は,土壌生息菌で,ヒトでの侵入門戸は主に経皮的または経気道的である。

◆類鼻疽症の地理的分布と環境要因◆
 類鼻疽症は,東南アジアや北オーストラリアで流行している風土病である。これらの地域は熱帯地であり,かつモンスーン地帯である。これらの地域以外でも患者の発生が報告されている。インドシナ戦争でフランス兵士が,ベトナム戦争でアメリカ兵士が,東南アジアで感染している。これらの場合,比較的長い潜伏期間の後,突然発症し,致死率も高いことから,アメリカなどでは「ベトナムの時限爆弾」と呼ばれ恐れられた。

 この類鼻疽症の患者発生には,次の様な特異な環境要因が知られている。


〜農夫に多い 〜
 菌に汚染された土壌,水との接触,土壌の吸入が感染経路であるが、通常,健常人が感染することは少ない。タイなどでは,雨季になり水が供給されると,乾季には土壌の乾燥により休眠状態であった類鼻疽菌が増殖を始める。タイの米作地帯では農夫が稲作のために田んぼに入り,そこで創傷感染する場合が多い。日本人での感染者は非常に少ないが,特徴的なことは,全て糖尿病を基礎疾患として持っていることである。


〜発育のpH〜
 ヒトの病原微生物の多くは,至適な増殖pHが7.0〜7.4の中性から弱アルカリであり,強酸性や強アルカリ性は余り適さない。しかし,類鼻疽菌の場合は本来の環境微生物としての特徴を強く残しており,発育可能なpH域が広く,pH4.5から増殖可能である。流行地であるタイ東北部の稲作地区の土壌のpHは4.1〜6.5で,平均pHが5.57と類鼻疽菌にとって好ましい環境であり,他の環境微生物の生存よりは優位に立っていることが示唆される。また,細胞内寄生性でもある類鼻疽菌は,食細胞に貪食されても,食細胞内の食胞内で生存し,増殖できるが,その理由の一つとして,食胞内のpHが5.0前後であることも重要である。


〜酸素が必須〜
 類鼻疽菌は以前,緑膿菌と同じPseudomonas属に分類されていた。この属の特徴は,腸内細菌科Enterobacteriaceaeとは異なり,糖を嫌気的に分解(発酵)出来ない偏性好気性であり,増殖には酸素の存在が必須となる。この類鼻疽菌が存在している地域は稲作地帯で,定期的に耕作のために農夫たちは田を耕して,土壌を攪拌し通気性の良い環境を作っている為に増殖には好都合である。これらの要因が相俟って,本来の環境微生物であったものが病原微生物としても認識されるようになったものと考えられている。


参考URL:http://www.microbes.jp/kankyo/kankiji/kb003.htm